
河岸通り会のあゆみ
ただの河岸通り会のヒストリーじゃない!
「ここだけの話」をコソコソ語ります
Street History
1990年代
1995年(平成7年)
『元町河岸通り会』発足
「いつか商店街になるかなぁ」と会員数4件から始まる
高速道路の建設に伴い植栽工事も行われて10年。木々は生い茂り、河岸の通りは『暗い・汚い・危険・臭い』と呼ばれ始める。タバコのポイ捨て等が日常となっており、「とにかく掃除をしよう」から始まった。なので、商店街の会として生まれたわけではない。だって、片側が河なんだもの。だからお店が少ないんだもの。その9年後にみなとみらい線が開通するけれど、今はまだ噂話。

元町河岸通り会 初代会長 田邊太一郎さん

それぞれ元町河岸通りにお店を構えるCHERRYの 高木さん、ブテイック・サンライズの細野さん、アトリエ光翔の岩崎さん、田邊屋の私の4人で1994年(平成7年)に『元町河岸通り会』を立ち上げました。



「いつか商店街になるかね」なんて言っていたのだけれど、それよりもまず、とにかく河岸通りを奇麗にしたかった。当時河岸通りは4K(汚い・暗い・危険・臭い)と言われていて、タバコのポイ捨てはもちろん何かを食べたゴミがあちこちに散らかっている有様で、何とか奇麗な通りに成らないかと、毎週土曜日の朝10時から1時間くらいかけて、それぞれ分担してゴミ拾いをしたのが始まりです。
当時のメンバーはもう私しかいないけれど、30年経って河岸通り会の会員も10倍にも増えて、皆で奇麗にしようとしてくれて、今、私が一番喜んでいます。
2000年代
2006年(平成18年)
シドモア桜を谷戸橋付近に植樹
2代目河岸通り会会長は「河岸通り会で植樹した」と言い張るけれど、銘板には『元町まちづくり協議会・シドモア桜の会・横浜市中区役所』としか書かれていない。場所がただ河岸通りだったというだけで、河岸通り会にそんな力は無い。植樹されたお陰で違法駐輪が減ったらしい。
何度となく行われる会議の議題は「通りの名前はこのままでいいのか」で「リバーサイドストリートにしよう」と決まっても、結局『河岸通り』と名乗ってしまう。

2010年代
2010年(平成22年)
プランター設置とタマスダレ定植
中土木事務所に指導を仰ぎ西の橋の袂にプランター、護岸と路側帯の隙間にタマスダレ!
土木事務所からの提案で日当たりの悪い河岸通りにタマスダレを植えたことが、のちに通り一面4300苗を植えることに繋がるとはまだ誰も気が付いていない。
会報誌『月刊河岸』発行No.8で廃刊
何の話題も無い河岸通りで毎月創刊していたのは狂気の沙汰。No.8まで出せたことが奇跡だ。
2011年(平成23年)
東日本大震災後のパニックの只中、前年の秋に植えたチューリップが満開
高速道路が揺れ、河の水位が上がる。美容院からケープを付けたままの人が通りに出てくるほど大きな揺れだった。そんな人々の狼狽をチューリップがそっと見ていた。

2013年(平成25年)
代官橋花壇を制作
中土木事務所に指導を仰ぎ制作
船のエンジンを修理する仕事をする人のためのクレーンが残る代官橋付近。高速道路の台頭とともに運河での運搬が減り、河に係留する船も無くなり、修理をする人たちもいなくなり、クレーンだけになる。当時の資材も残されたままになっていたが、代官橋の花壇が整備されるとともに、徐々に遺族が資材を撤去してくれた、なんて場所なので駐輪場でも喫煙所でもない。
2014年(平成26年)
会報誌『月刊河岸リポート』発行
元町河岸通り会のロゴができ、会報誌を発行するもののNo.1で廃刊
「河岸も会として何かしないの」という空気に押されてロゴが出来る。その勢いで『フラワーフォトキャンペーン』や『月刊河岸リポート』が生まれるが盛り上がらない。
春『フラワーフォトキャンペーン』開催
「河岸も会として何かしないの」という空気に押されてロゴが出来る。その勢いで『フラワーフォトキャンペーン』や『月刊河岸リポート』が生まれるが盛り上がらない。
秋『キャナルフォトキャンペーン』開催
「浜橋会で運河パレードを行います。河岸通り沿いの河に船団がやってきたら橋の上で旗を振る手伝いをして欲しい。その時期に合わせてぜひイベントもやってみて欲しい」と言われたのが河岸通り会でイベントを行う始まり。イベントと言っても何もできないので、春にやってみたフォトキャンペーンで濁そうとした。参加店舗はごく少数。当日は『K』と書かれた紅白の旗を振る。


2015年(平成27年)
『第1回元町かわぎしテラス』開催
またもや運河パレードの話がやってきて、渋々始まった『元町かわぎしテラス』。「河にやって来るパレードを観ながらお茶でも飲んだりして。テラスって感じでやってみよう」となったものの、開催時間は12時~14時半の2時間半。ルノアールから代官橋までを通行止めとして、パレードが来た時にマーチングバンドに演奏してもらったりした。河岸からの出店は3件。もとぶんとショコラボに協力を仰ぎ、全部で5件の出店となるも、河岸の人ですらあまり知らない幻のイベントとなる。

2016年(平成28年)
河岸通り花壇整備が本格始動
代官橋の花壇が見違えるほど良くなったことで、花を植えることが本格的になって来る
「西之橋の袂は木の陰になっていて日光が当たらないからやりたくない」という花壇部長の意見を無視して会長が土木事務所に依頼し、桃の花を剪定してもらって日当たりを良くしたために、西之橋の袂にも花を植えなければならなくなった元年。
『第2回かわぎしテラス』開催
「運河パレードで水上ウエディングをします。会場は代官橋です。飾り付けの手伝いをお願いします」とのことで、またもや押し出されるように『かわぎしテラス』が動き出す。河岸通り会からの出店はやや増え、有志から借りたテントが並び、それらしくなった。代官橋も風船や布でデコレーションされ、牧師が立ち、船上の2人は永遠の愛を誓った。
2017年(平成29年)
『第3回かわぎしテラス』悪天候により中止
この年は雨に祟られ、花の植替えも雨、かわぎしテラスも雨で、「会長が雨男だから」説が流れる。 西之橋の袂は鉄くずやコンクリート片が埋められていて、花を植えてもすぐダメになる。
2018年(平成30年)
元町自治会『納涼夕べ』出店
元町の自治会が行っている『納涼の夕べ』に毎回出店している河岸通り会。例年不用品を寄付してもらい、それをバザーとしてやってきたが、いつの頃からか『綿あめ』と『ポップコーン』の販売を始める。機材はCSの『たま屋』さんからのレンタル。 夏祭りの綿あめが風で宙に舞い、追いかけながら丸くする技術が向上していく。
『第4回かわぎしテラス』開催
連絡の行き違いなのか、イベント内容未定のまま運河パレードの3週間前まで来ていた。そのため火事場の馬鹿力的に『第4回かわぎしテラス』が開催される。勢い余って代官橋付近のクレーンの下で生バンドに生シンガーでパイプ椅子まで並べちゃって、ライブが行われる。代官橋上にも観覧者が詰めかけた。
演目は…
①幸せの黄色いリボン
➁枯葉
③ラブ・ミー・トゥナイト
④太陽は燃えている
⑤服部良一メドレー
⑥サン・トワ・マミー
⑦東京キッド
⑧ブルーライトヨコハマ
⑨スィング・オン・スィング。
昭和歌謡が河岸通りに流れる。神奈川県庁ブルーハーバーオーケストラの皆さんお陰で大いに盛り上がり、ルノアールから前田橋まで通行止めにして、消防団の皆さんにテントを立ててもらい、本当にイベントらしい感じになった。河岸からは18件出店、開催時間は13時~15時半と相変わらず短い。前年度、悪天候のため中止になった下準備がそのまま生かされる形になった。

2019年(令和1年)
有志による植栽大剪定が始まる
イベントをやるにしても樹が茂り過ぎて河も見えない、暗すぎる、花を植えても育たない、不法投棄が多すぎる等の不満から有志が立ち上り、沿道の植栽の剪定を始める。押されなければ動かない河岸通りの人としては快挙に近い。さすが令和元年だ。「ハマロードサポーターの活動の一環」で押し通し、200袋を超えるゴミ袋を回収にくる土木事務所から悲鳴が聞こえた気がした。
『運河チャレンジ』後援
運河パレードが運河チャレンジにバージョンアップをしていて、桟橋設置の話へと大きく舵を切り始めた。イベントも『かわぎしテラス』どころではなく、「中華街と元町合同で、陸も河も一緒に盛り上がりましょう」の波に飲み込まれていく。河岸通り会からだけでなく、元町全域・中華街からの出店もあり、河を挟んだ両側にお店が並ぶほど大きなイベントとなる。最後は前田橋で『元町vs中華街』の綱引きが行われた。河岸の人たちはピヨピヨ音が鳴るヒヨコのスティックを振る、という応援に回る。
2020年代
2020年(令和2年)
道路舗装の為、大型プランターを一斉撤去
「歩道に物を置いてはいけない」という道路交通法を無視して大型プランターを大量に並べていたが舗装工事をしてもらえないのは困ると、渋々片づけることになった。終わってみれば歩道の舗装は無く、道路だけだったのだが、ベビーカーも車椅子も安全に通れる歩道になった。
コロナ来襲
緊急事態宣言が発令され、河岸通りのお店たちも営業停止を余儀なくされる。『国』『県』『市』などの言葉が飛び交い、給付金の申請が始まった。そんな中で『商店街新型コロナウィルス感染症衛生対策支援事業補助金交付要綱』を見つけ、ダメもとで申請してみるために、会則・活動範囲地図・会員名簿等を見直す。恐ろしい程、名簿の更新がされておらず震えが起きる。
整理できた勢いで『商店街一時給付金』も申請し、河岸通り会店舗会員28件へ給付金を配ることができ、これまで会費を納めて会員をやってきた意味が、やっと出て来る。
横浜市みどりアップ事業『地域みどりの街作り』申請
「河岸通りはお金が無いから大きなことはできない」と言って歩いていたら、助成金の申請をしないか、と羽交い絞め状態で説明会に出ることになった。幸か不幸か、商店街としての給付申請も通ったことで団体として動き出せる準備は出来ていた。「お店の営業も止まっちゃうし、お陰で時間はあるし、ダメもとでやるだけやってみようか」と安易に申請に向けて動き出してしまう。それが地獄の入り口だった。ヒアリング会場・横浜市役所27階でアニメ『ONEPIECE』を真似て職員の方に記念写真を撮ってもらった。
2021年(令和3年)
横浜市との共同編集誌『横濱』の取材
「買い者・荻野アンナの商店街は面白い」の取材を受け掲載される
ついに横浜の雑誌の特集に河岸通り会が載った。商店街と認知されて、河岸通り会発足時の夢が叶ったのかもしれない。
河岸通りが河と緑に近づける通りへ…
- 横浜市みどりアップ推進課みどりアップ事業『地域みどりのづくり』採択決定
- 花壇部隊『元町河岸通りCRG』発足
- 『地域緑の街づくり』事業として横浜銀行裏~前田橋間の植栽帯へ、ローズマリー・タマスダレ・タマリュウを定植
- 3丁目前田橋付近にオリジナル屋根付きパーゴラ&雨水貯水タンクの設置
- ハンギングバスケット20台を会員で制作、設置
「Cose to the RiverGreen ~河と緑に近づける通り~」と意味づけて、河岸通りにもアルファベット名の団体を作った。元町の他の団体はアルファベットで呼ばれているのが羨ましかったからだ。お陰様で今ではCRGと気軽に呼ばれている。
『採択決定』はしたものの『実行できるかは別』とのことで4月から躓き、占有許可申請のために設計図を提出し協定書まで作り、河岸通り会のクセに中区政推進課、横浜・川崎治水事務所を巻き込んでの大事になってしまった。ジャイアンが「のび太のクセに生意気だぞ!」と言うが如く「河岸通り会のクセに」という感じだ。結果、着工は翌年の3月になった。助成金申請期限ギリギリで、次年度の申請準備と重なり半死人のようになる。 中は中で「ハンギングバスケット??」状態で、講師を招き、自治会館の2階で学び、出来上がったバスケット(推定5kg)2つを両手に持って河岸通りに運ぶ、台車を使えばひっくり返す、「プランターの搬送には助成金は使えません」とのことで、50kgはある鋳物のプランターを何十台も手で運ぶ、物入は自分たちで組み立てる、という大惨事が起きていた。それでもオリジナルの『屋根付きパーゴラ&雨水貯水タンク』の設置ができて、雨水から植栽に水を撒けるようになって、感極まる。オリジナルなんて、まったく「河岸のクセに」だ。

2022年(令和4年)
関内関外横浜の文化情報誌『濱手帳』の元町スピリットに掲載
同時に掲載されたSS会やCS会と毛色が違う事が浮き彫りになる。それでこそ河岸通り会。
『地域緑の街づくり』事業
- 前田橋~代官橋間の植栽帯へ、ローズマリー・タマスダレ・タマリュウを定植
- 西の橋の袂に立上り花壇設置
- ハンギングバスケットを会員で制作12台追加設置
会長念願の『西の橋の袂の整備』が実行できた年だった。元町らしさを意識して石造りの立上り花壇が誕生し、河岸通りの入口感がでた。「治水事務所の管轄と土木事務所の管轄が目で見てわかるようにして欲しい」との行政指導で、二段組みの花壇にデザインを書き直すことになったが(二段目部分が治水事務所管轄、一段目部分が土木事務所管轄)、出来上がって見れば結局それが可愛かった。西之橋は歴史的建造物にあたり、道路局へ設計図の提出、欄干から5cmは離れて建設するなどの注意を実行し、すっかり行政対応に慣れて来た。「ハンギングバスケットの制作は、雨が降ろうと外でやろう、室内は土の掃除が大変」との声が上がり、初めて通りで作業を行うことになった。
植栽の剪定
土木事務所と協議の末、増えすぎたキンモクセイ等の植栽剪定
みどりアップ推進課に「みどりをアップさせる事業なので、伐採には助成金は使用できません」と計画を却下され、通りを暗くしている植栽をどうにかできる事業じゃなかったのか、と愕然としたのだけれど、では土木事務所に抗議しよう、と生えている樹を1本ずつ数えて600mの通りの地図にプロットし、現状の報告をしたのが2020年。高速道路施工時に植栽を整備した1984年のリストと照らし合わせ、「36年もリストの更新もしていなくて、管理団体として申し訳なかった」とのお言葉を頂け、植栽工事時に植えた植栽以外は伐採となる。ちなみに当時植えられたキンモクセイの数は9本だったが、現行は99本になっていた。また、無許可で植えられていた植栽もすべて整理対象となった。

2023年(令和5年)
『地域みどりの街づくり』事業
- 代官橋~谷戸橋間の植栽帯へローズマリー・タマスダレ・タマリュウを定植
- ハンギングバスケット32台を会員で制作・設置
- 3年間の事業でタマスダレ4300球、ローズマリ400苗、タマリュウ2300苗の定植完了
1台目のときはあんなに揉めた『屋根付きパーゴラ&雨水貯水タンク』の2台目設置はすんなり許可が下りて、拍子抜けするほどだった。実績とはこういう事なのだな、と納得をする。室内で作業をしていたハンギングバスケット制作も、土木事務所に許可を取り、通りで行うことが定着してくる。資材や出来上がったバスケットの移動など、すこぶる楽になる。制作側もプロの腕前となり、いつでもみな転職可能な実力がついて来る。草むしりすら、プロの腕前だ。河岸通りのハンギングバスケットが可愛かったからではないだろうが、横浜市も「フラワーブリッジ」と言って谷戸橋に花のバスケットを設置してきた。展示期間が終わったバスケットを押されるように譲り受け、32台→64台制作する事になって行く。さらには枯れたローズマリーの植替えにタマスダレを使用する許可が下り、みんなで手分けして植え直しを行う。すっかり造園業者のようになった河岸通り会だった。
河岸通りがラジオとTVに出演
マリンFM『ただいま商店街!』、J-com『ジモトって面白い!ジモトトピックス #ジモトピ』に出演
ついに河岸通り会がラジオとTVに出演する。TV出演と言っても取材を受けたというよりは企画を持ち込んで「活動を放送して欲しい」と依頼したに近い。撮影後も編集作業のやり取りがなかなな大変で、他の団体はよくやっているな、と改めて感心する。
『第1回河岸通り会フォトコンテストin Instagram』開催
コロナとみどりアップで開催が止まっていたイベントもまたも運河チャレンジの波が押し寄せ、天下の宝刀『河岸通り会フォトコンテスト』が始まる。時代はSNS。河岸通りのクセにInstagramでの開催に踏み切った。グランプリには、馬肉の小桜お食事券5000円分、なんてやってみた。100件以上の投稿となり、思いのほかビビる。
土木事務所と協議の末、クスノキ等高木の剪定
「クスノキとカシの木がいい加減大きくなり過ぎだと思う。落葉も酷いし剪定して欲しい」「河岸通りは狭いからクレーンが入れられない」「そう言って放置し続けて今に至るのだから、そろそろ剪定して欲しい」「ぶら下がって切れる業者も少なくて」「もっと大きくなったら尚更できなくなるんだから、やるなら今だと思う」等の押し問答の末、剪定が決まる。「いっそ、伐採とかは?」と聞くと「リストにある以上、それはできない。更新として苗木に植え替えることはできるけど道路局の管轄で、話し合いに10年はかかると思う」とのことで、では1年目開始だ、と目論む。
中区より『ヨコハマ3R夢プラン』促進として感謝状拝受
『ヨコハマ3R夢プラン』を促進した会として、推薦を受けての拝受。誰かがどこかで見ていてくれた、それを実感した表彰だった。そりゃ、ゴミ袋を毎度山積みして、何度も何年も回収依頼を出していれば目にも止まる、というもの。


2024年(令和6年)
ハンギングバスケット制作を『中華街福建通り会』の会長と副会長が視察に来る
「通りを奇麗にしたい」という思いは一緒で、植える花の種類やバスケットの制作のコツ等を習いに来てくれた。河岸通りのクセに、いつの間にかお手本にされるようになれたのは誉である。
『第2回河岸通り会フォトコンテストin Instagram』開催
運河チャレンジも横浜市の運営となり、石川町では桟橋の建設が進んでいる。元町は、みなとみらい線元町・中華街駅5番出口前に桟橋建設計画が立上り、運河パレードからのお付き合いをさせて頂いている元町河岸通り会としては、ついにここまで来たか、と震えが止まらない。またもフォトコンテスト開催で、運河チャレンジとコラボしているフリをする。
2025年(令和7年)
河岸通り会発足30周年!
記念事業として元町河岸通り会HP発足
気が付けば30周年を迎えていた。いったい30年もの間、何をしていたのかとも思うけれど、市井の人の活動をしていたのだと思う。庶民万歳。自分たちも年表の中に居ることを実感するとともに、山本繫次郎もそうだったのかもしれないな、と思いを馳せる。華々しくはないけれど日々是生きて来た、あなたのイズムは河岸通りに残っているよ、とお伝えしたい。
今日を迎えられたのも、腰の重い河岸通りの私たちに協力してくれた人が、数多くいたからです。この場をお借りしてお礼申し上げます。
そして、To be continuedだ。